2011/09/05
日々是好日
5日は国道沿いを歩いてみました。

ケンタッキーはほんとどこでもあるなー。

大型スーパー。

中はすごく綺麗。

スーパーの中にハンバーガーショップが
あったのでお昼はそこで食べた。
たまにはファーストフードもね。
セットで3.25ドル(250円)

何故か店内のテレビで
カラオケの映像が。
カンボジア人はそんなに
カラオケ好きなの?

国道6号線。

本屋さん寄ってみた。
プログラミングの本は4~7ドル。
安いけど置いてあるのはちょっと古い。

一つ目のマーケット。
カンボジアのマーケットは
真ん中に貴金属関係があって
それを中心に
生活用品、雑貨、服、生鮮食品等が
並ぶ配置が基本のようです。
なんでこんなに金売ってるところが
多いのかちょっと考えてみましたが
通貨の価値が安定してないから
じゃないかなーと思います。
今は米ドルだって信用できないし。
なら価値の変化しにくい金を
それも常に身につけておける
装飾品という形にして
持ち歩いてるんじゃないかと思います。
違うかな?わかんねっす。


この雑多な感じがたまらんね。
ちなみに観光客は誰一人としていない。

さらに国道を進み
もう一つのマーケットへ行きます。
ここは地球の歩き方にも載ってたけど
やっぱり僕以外の観光客を見かけない。
やっぱり皆遺跡とかの方に行っちゃって
こんなとこへ来てる暇人は
僕だけってことなのか。


笑顔で手を振ってみると
笑顔が返ってきます。

ちょっと脇道それてみた。

牛。

この子供達、外人が珍しいのか
ずっと着いてきました。
言葉は通じなかったけど
別れ際のバイバーイだけは通じました。

商品の上を歩くにゃんこ。

活気に溢れてる。

どう見ても機械翻訳です。
本当にありがとうございました。

歩き疲れたので
駐輪場と道路の間に
1時間くらい座りこんで
人の流れをボケーっと見てました。




なんか段々子供達が集まってくる。

ライムを蹴り上げる少年。

それを真似しようとする赤ちゃん。
でもできなくて放り投げるだけ。



みんな写真に映るの大好きみたい。
撮ったあとすぐ
見せて見せてって寄ってくる。

体力も回復したし、そろそろ行くか。
じゃ、バイバーイ。
---
道端に座り込んで、何を見るでもなく、見ないでもなく、ただぼけーっと時間の流れるにまかせてみて、とても懐かしい気持ちになりました。そういえばホームレスやってた頃も、こんなことやってたなーって。
バッグ一つに入るだけの荷物。それが僕の全財産でした。それ以外には何もありませんでした。そうなってみると、以前とはまったく世界の見え方が違うのです。お金持ってる状態で地べたに座り込んだところで、絶対に見えない景色だったと思います。
自分の欲とか、物事への執着とか、そういったすべてが強制的に引き剥がされて、最後に残ったのは、ちっぽけなちっぽけな自分自身だけでした。それを直視するのはとてつもない恐怖を伴っていたけど、同時にそれ以上の清々しさがあったのです。とても貴重な体験でした。
あれから何年か経って、こうして異国の地で同じように道端に座り込んでみて、何か変わったかなーって考えても、何か変わったような、何も変わらないような。相変わらずのダメ人間っぷりだし。相変わらず先のことなんて考えてないし。
でもまあそれでいいかなって思っちゃう。僕みたいなダメ人間が未来のことを考えても絶望しかないし、それなら未来のことなんて考えず、今を全力で生きて、未来を切り開く方が理にかなってる。
お釈迦様だって「ノーフューチャー」って言ってたんだし(超意訳)、過去に囚われず、未来にも縛られず、現在に全力でぶつかっていく。何が起ころうと、幸も不孝も、甘い汁も苦い汁も、人生のすべてを味わい尽くしてやる。そんな覚悟を決めてみると、不思議と生きるのが辛くなくなる。生きるのが楽しくなる。
僕みたいな社会不適合者が、それでも社会の中で生きていかなきゃならないとしたら、そういう方法しかないんじゃないかなーと、アホな頭で考えたりするのです。
ケンタッキーはほんとどこでもあるなー。
大型スーパー。
中はすごく綺麗。
スーパーの中にハンバーガーショップが
あったのでお昼はそこで食べた。
たまにはファーストフードもね。
セットで3.25ドル(250円)
何故か店内のテレビで
カラオケの映像が。
カンボジア人はそんなに
カラオケ好きなの?
国道6号線。
本屋さん寄ってみた。
プログラミングの本は4~7ドル。
安いけど置いてあるのはちょっと古い。
一つ目のマーケット。
カンボジアのマーケットは
真ん中に貴金属関係があって
それを中心に
生活用品、雑貨、服、生鮮食品等が
並ぶ配置が基本のようです。
なんでこんなに金売ってるところが
多いのかちょっと考えてみましたが
通貨の価値が安定してないから
じゃないかなーと思います。
今は米ドルだって信用できないし。
なら価値の変化しにくい金を
それも常に身につけておける
装飾品という形にして
持ち歩いてるんじゃないかと思います。
違うかな?わかんねっす。
この雑多な感じがたまらんね。
ちなみに観光客は誰一人としていない。
さらに国道を進み
もう一つのマーケットへ行きます。
ここは地球の歩き方にも載ってたけど
やっぱり僕以外の観光客を見かけない。
やっぱり皆遺跡とかの方に行っちゃって
こんなとこへ来てる暇人は
僕だけってことなのか。
笑顔で手を振ってみると
笑顔が返ってきます。
ちょっと脇道それてみた。
牛。
この子供達、外人が珍しいのか
ずっと着いてきました。
言葉は通じなかったけど
別れ際のバイバーイだけは通じました。
商品の上を歩くにゃんこ。
活気に溢れてる。
どう見ても機械翻訳です。
本当にありがとうございました。
歩き疲れたので
駐輪場と道路の間に
1時間くらい座りこんで
人の流れをボケーっと見てました。
なんか段々子供達が集まってくる。
ライムを蹴り上げる少年。
それを真似しようとする赤ちゃん。
でもできなくて放り投げるだけ。
みんな写真に映るの大好きみたい。
撮ったあとすぐ
見せて見せてって寄ってくる。
体力も回復したし、そろそろ行くか。
じゃ、バイバーイ。
---
道端に座り込んで、何を見るでもなく、見ないでもなく、ただぼけーっと時間の流れるにまかせてみて、とても懐かしい気持ちになりました。そういえばホームレスやってた頃も、こんなことやってたなーって。
バッグ一つに入るだけの荷物。それが僕の全財産でした。それ以外には何もありませんでした。そうなってみると、以前とはまったく世界の見え方が違うのです。お金持ってる状態で地べたに座り込んだところで、絶対に見えない景色だったと思います。
自分の欲とか、物事への執着とか、そういったすべてが強制的に引き剥がされて、最後に残ったのは、ちっぽけなちっぽけな自分自身だけでした。それを直視するのはとてつもない恐怖を伴っていたけど、同時にそれ以上の清々しさがあったのです。とても貴重な体験でした。
あれから何年か経って、こうして異国の地で同じように道端に座り込んでみて、何か変わったかなーって考えても、何か変わったような、何も変わらないような。相変わらずのダメ人間っぷりだし。相変わらず先のことなんて考えてないし。
でもまあそれでいいかなって思っちゃう。僕みたいなダメ人間が未来のことを考えても絶望しかないし、それなら未来のことなんて考えず、今を全力で生きて、未来を切り開く方が理にかなってる。
お釈迦様だって「ノーフューチャー」って言ってたんだし(超意訳)、過去に囚われず、未来にも縛られず、現在に全力でぶつかっていく。何が起ころうと、幸も不孝も、甘い汁も苦い汁も、人生のすべてを味わい尽くしてやる。そんな覚悟を決めてみると、不思議と生きるのが辛くなくなる。生きるのが楽しくなる。
僕みたいな社会不適合者が、それでも社会の中で生きていかなきゃならないとしたら、そういう方法しかないんじゃないかなーと、アホな頭で考えたりするのです。